「見えない」情報漏えい――日本が標的に入った諜報型攻撃と正規ツールの死角
2026年上半期、北朝鮮系とされるサイバー諜報集団Kimsuky(キムスキー)が、韓国だけでなく日本の組織を明示的に標的としたスピアフィッシング攻撃を行っていたことが、韓国のセキュリティ企業の分析で明らかになった。折しも日本国内では大量の個人情報漏えいの公表が相次いでいるが、この諜報型の攻撃は、その数字のどこにも現れない。「見えない被害」と、「正規のソフトウェア」という防御の盲点を、経営の視点で読み解く。
(※本稿の情報は2026年10月20日執筆時点のものです。)
攻撃に日本語のおとり文書が使われた
2026年の上半期、北朝鮮系とされるサイバー諜報集団Kimsuky(別名APT43)が、韓国だけでなく日本の組織を明示的に標的としたスピアフィッシング攻撃を行っていた。韓国のセキュリティ企業ENKI WhiteHatの分析で明らかになったものである。スピアフィッシングとは、不特定多数にばらまく迷惑メールではなく、特定の相手を狙い撃つために作り込まれたフィッシングメールを指す。
手口は、近年の典型的な標的型攻撃である。攻撃者はクラウド保存サービスの共有リンクを装ったメールを送り、添付されたショートカットファイル(Windowsの「LNKファイル」)を開かせる。このファイルを開いた端末には、外部の指令サーバーから定期的に命令を受け取る仕組みが仕込まれ、メールやキーボードでの入力内容が静かに盗み出されていく。派手な破壊を伴わないため、狙われた側は異変に気づきにくい。諜報型の攻撃は、暴れることではなく、気づかれずに居座って情報を持ち出し続けることを目的とするのである。
さらに注目すべきは、その後に攻撃者が行うことである。彼らは、正規のリモート操作ソフトを標的の端末に忍び込ませ、遠隔から自由に操作する足場を確保していた。加えて、Gmailの内容を自動で抜き取るWebブラウザソフトの拡張機能まで用意されており、分析したENKIは、攻撃者が準備したプログラムには生成AIで書かれたとみられる痕跡が多数あったと指摘している。攻撃の一部をAIに肩代わりさせれば、限られた人手でも手の込んだ仕掛けを効率よく用意できてしまう。
Kimsukyは、2023年に米国政府が制裁対象とした集団で、政府機関、研究機関、シンクタンク、報道機関といった「情報を持つ組織」に狙いを定めてきた。日本はかねてその射程に入っていたが、今回、韓国と並んで明示的に標的とされたことが確認された点に、変化の兆しがみられる。
この兆候は、一過性のものではなさそうである。韓国のセキュリティ企業Geniansが2026年10月に公表した分析によれば、同じ集団がウクライナの外交・安全保障の専門家を狙った別の作戦の攻撃基盤に、日本語で書かれた国際刑事裁判所(ICC)の審理の分析書や、日本の経済紙のコラム面といった日本語のおとり文書が置かれていた。
Geniansは、日本語話者を狙った別の攻撃が準備あるいは実行された可能性があると推定している。日本での被害は未確認だが、作戦の対象範囲が広がるなかで、日本語の文書が攻撃の道具として常備されつつあると読むのが自然だろう。
漏えいの「爆増」は事実だが、数えられているのは「見える被害」だけ
この半年、日本国内では情報漏えいの公表が相次いでいる。これに対しては、「法律で報告が義務づけられたから、表に出る件数が増えただけではないか」という見方もある。そこで筆者は、2016年以降に国内の組織が公表した個人情報漏えいのうち、公表された最大件数が10万件以上のものを、初報の年ごとに数えてみた。委託先の1つの事故を複数の委託元が公表した場合は1件として数えている。
公表最大件数10万件以上の個人情報漏えいの件数(国内・初報年ベース・筆者調べ)
| 初報年 | 10万件以上(件) | うち100万件以上(件) |
|---|---|---|
| 2016 | 16 | 1 |
| 2017 | 10 | 1 |
| 2018 | 8 | 2 |
| 2019 | 11 | 3 |
| 2020 | 11 | 5 |
| 2021 | 9 | 2 |
| 2022 | 21 | 3 |
| 2023 | 18 | 8 |
| 2024 | 22 | 5 |
| 2025 | 35 | 11 |
| 2026(〜10/19) | 71 | 34 |
2022年に件数が一段階上がっているのは、同年4月に施行された改正個人情報保護法で、漏えいの報告と本人への通知が義務になった影響とみてよい。“見える化”が進んだのである。だが、2025年から2026年にかけての跳ね上がりは、法改正では説明がつかない。2026年は10月19日までの10カ月足らずで71件、うち100万件以上が34件。2016年から2021年までは年10件前後だったから、桁が変わりつつある。「爆増」は、錯覚ではなく本物である。
ここで立ち止まりたい。この71件は、どうやって私たちの目に届いたのか。経路は3つしかない。第1に、法律が見せる。個人データが漏れれば、報告と本人通知の義務が働き、数字になる。第2に、攻撃者が見せる。情報が手に入ったらランサムウェアでの直接的なサイバー攻撃を止めて、脅して、暴露サイトに載せる。黙っていては金にならないからである。第3に、被害企業は事業が止まって隠せない。情報が漏えいすれば、出荷停止、サイト停止、取引先への説明によって目に見える形となるのである。
本稿で扱う諜報型の攻撃は、基本的には、この3つのどれも通らない。狙われるのは個人データよりは、図面、交渉、人脈だと推測される。攻撃者は決して名乗らず、業務は1日も止まらない。だから、どれほど増えていてもカウントは「ゼロ」である。現に、日本の組織が標的にされていたことを、私たちは韓国の一民間企業の分析で知った。日本側から名乗り出た組織は1つもない。見える被害がこれだけ増えているとき、見えない被害だけは増えていないと考える理由は、どこにもない。
あなたの会社が「通り道」になる可能性も
ここまで読んで、多くの経営者はこう思うかもしれない。「うちは政府でも研究機関でもない。役所やシンクタンクが狙われる話であって、自社には関係がない」と。だが、その油断こそが盲点である。
諜報型攻撃の最終的な標的は、たしかに情報を持つ組織である。しかし、そこへ正面から入るのは難しい。だからこそ攻撃者は、標的へ近づくための通り道を探す。取引、委託、日々のやりとり――信頼でつながった相手が、その通り道に選ばれる。標的より守りが手薄になりがちな小さな取引先ほど、入りやすい入口になりうる。
実際、Kimsukyによる攻撃では、韓国で社内業務用のグループウェアを提供するベンダーが侵害され、その被害がベンダーの先にいる顧客企業にまで及んだことが報告されている。突破口の一つは、パスワードに加えてもう一段の本人確認を行う「多要素認証」が導入されていなかったことだった。取引先とやりとりするためのメールアカウントや認証情報が、そのまま次の標的への通行証になってしまったのである。
つまり、自社が最終目的地でなくても、取引先へ至る通り道として踏み台にされることは珍しくない。あなたの会社は、狙いの本体ではなく、入口として使われるかもしれない。自社が持つ情報の価値だけでなく、「誰とつながっているか」は、狙われる充分な理由である。そう考えたとき、この攻撃は急に自分たちの問題として立ち上がってくる。
EDRをすり抜ける「正規品」による攻撃
いまや多くの企業が、端末の不審な動きを見張る仕組み(EDREDR:エンドポイントの挙動を継続的に監視・記録し、すり抜けて侵入した脅威や不審な活動を検知して、調査と対応を支援する仕組み。詳しく見る →/Endpoint Detection and Response)を導入している。ある面、EDRさえ導入していたら大丈夫との感覚も広がっている。確かに、今回の攻撃での前半部分――怪しいショートカットの実行や、勝手に外部から命令を取りにいく動き――は、こうした見張りに気づける余地がある。
問題は後半である。この攻撃が巧妙なのは、途中から「悪いソフト」を持ち込むのをやめる点にある。攻撃者が使った遠隔操作ソフトは、世の中で正規に販売され、多くの企業が日常的に使っている便利な道具でもある。正規のメーカーが署名した正しい製品であるため、EDRによる端末の見張りは、それを「不正なプログラム」として隔離しない。ENKIの分析も、これは検知の網を逃れるための選択だとみている。
Gmailを盗むブラウザの拡張機能も同様である。拡張機能がインターネット越しに通信するのは、ごく当たり前の動きに見えるため、端末側の見張りからは異常として捉えにくい。
しかも、この「正規品」の顔ぶれは、遠隔操作ソフトにとどまらない。2026年に入って報告されたKimsukyの韓国向けの攻撃では、プログラマーが使う開発ツール(Visual Studio Code)に備わる遠隔接続の機能や、大手クラウド事業者が提供する正規の通信トンネルの機能が、外部から端末に入り込む経路として使われていた。
10月に報告されたウクライナ向けの作戦では、プログラムの共有に使われる正規の開発者向けサービス(GitHubなど)が、攻撃プログラムの置き場と指令のやりとりに使われている。いずれも、多くの企業が普段の業務で使い、通信を許している正規のサービスである。これらをまとめて遮断すれば、仕事が止まる。
言い換えれば、攻撃者は「見えない通用口」を少しずつ増やしていっているのである。しかもその通用口は、正規品の顔をしてそこに立っている。検知されないことを狙っているのだ。防御側の道具の性能を上げれば止まる、という発想だけでは届かない領域が、確かに存在する。ここを見落とすと、「高い製品を入れたのになぜ」という、論点を見誤った後悔につながりかねない。
経営者の統制による防御
ここから先は、経営の話である。正規のソフトや拡張機能を使った攻撃は、EDRによる検知をすり抜ける。ならば止める鍵はどこにあるか。それは、「そのソフトを組織として許可したのか」と「正規の仕事をやっているのか」ということに尽きる。技術で見つける努力を続けつつ、最後は経営が統制を効かせる。その統制こそ、経営の大事な仕事である。
見直すべきことは、大きく3つ。
第1に、遠隔操作ソフトの統制。自社の端末で、誰も許可した覚えのない遠隔操作ソフトが動いていないかを確かめる。そのうえで、業務で使ってよい製品をあらかじめ一覧(許可リスト)として定め、それ以外は動かない、あるいは動けば警報が鳴るようにしておく。前回記事で取り上げた北朝鮮IT労働者の事案を思い出してほしい(「画面の向こうの応募者は「その人」か――警察庁公表が問うリモート採用と外注の本人確認」参照)。あれも、日本国内に置かれたパソコンで、誰も許可していない遠隔操作が静かに続いていた話である。
さらに、遠隔操作ソフトは攻撃者ではなく、社員が仕事のためにこっそり入れているかもしれない。自宅からいつでも会社のパソコンを操作したい人は存在する。それは、会社で許可されているのか。許可されていないにもかかわらず、黙認を続ければ、何かあったときに言い訳が立たない。さらに、その遠隔操作で行われているのは正規の業務なのかを確認できるようにしておきたい。これも黙認を続けると、経営の問題となり得る。
第2に見直すべきは、ブラウザ拡張機能のルール化。業務用の端末に入れてよい拡張機能を、個人任せにせず会社として管理する。便利だからと各自が自由に追加できる状態は、通用口を開けっ放しにしているに等しい。
第3に、メールの多要素認証。この備えの欠如がKimsukyの攻撃の突破口となった事案も存在する。パスワード一枚に会社の入口を委ねないことだ。
これらはいずれも、新しく高価な道具を買い足す話ではない。何を許し、何を許さないかを決め、その決定に誰が責任を持つのかを定める――統制の設計である。
この設計を急ぐべき理由が、もう一つある。攻撃者側のAI利用が、「痕跡」の段階を越えつつあることだ。Geniansが2026年8月に公表した分析では、Kimsukyの攻撃用サーバーに、外部のAIサービスを介さず手元で動かすタイプの大規模言語モデルの実行環境、盗んだ文書を読み込ませて検索・要約させる仕組み(RAG)、音声を文字に起こすツールなどが導入されたことがわかった。盗んだ文書を外部のAIに送れば足がつくが、手元で処理すれば痕跡は残りにくい。
Geniansはこの分析結果について、まだ「研究と知識獲得」の段階であると評価している。それでも意味するところは明らかである。おとり文書の作成や盗んだ情報の選別といった、人手を食っていた工程が、自前の手元のAIで回るようになる。「おとり文書の日本語が不自然だから気づける」という、人の目に頼った防御は、通用しなくなっている。攻撃者が正規の道具を悪用し、AIまで味方につけてくる時代には、道具をそろえる力よりも、道具の使用を律する力が問われる。
結びに、社内で交わせる問いを一つ置いておきたい。「うちの端末に、誰も許可していない遠隔操作ソフトは、本当に1つもないと言い切れるか」。漏えいの公表がないから無事、とは言えない。この問いを、情報システムの担当者と経営者とが同じ場で確かめるところから始めてみてほしい。攻撃の狙いは別の所でも、入口は自社にある可能性を常に考えておきたい。