常任理事国がルールを破る時代――日本の武器は「暴く力」、経営者の武器は「備える力」
国際の平和と安全に最も重い責任を負うはずの国連安全保障理事会・常任理事国が、自ら国際規範を踏み越える。2022年のロシアによるウクライナ侵略以降、その光景はもはや例外的な動きではなくなった。「国際秩序が守ってくれる」という前提は、静かに、しかし確実に崩れている。こうした時代にあって、サイバー空間における日本という国家の戦い方は、また企業経営者が明日から備えるべきことはどんなことなのだろうか。
ルールを作る者が、ルールに縛られない
国連安全保障理事会の常任理事国とは、本来「世界の警察官会議」の常連メンバーである。中国、フランス、ロシア、英国、米国という、国際の平和と安全の維持に第一義的な責任を負う5カ国。ところが、この仕組みには生まれつきの矛盾が組み込まれている。常任理事国は拒否権を持ち、5カ国のうち1カ国でも拒否権を行使すれば、決議案は採択されない。つまり、自分自身が裁かれそうになったとき、その裁きを自分で止められるのだ。
もし、一般の会社の取締役会で、自分への処分決議を自分1人だけで否決できるとしたら、私たちはそれを健全なガバナンスと呼ぶだろうか。
ロシアによるウクライナ侵略は、この矛盾を白日の下にさらした。ルールを作り、守らせる側にいる国が、ルールを最も派手に破る。そして誰も、それを制度の中では止められない。私たちは「国際秩序とは、結局のところ紳士協定にすぎなかった」という不都合な真実を改めて突きつけられたと言える。
この構図を「遠い国の話」として眺めているうちは、まだ本質に届いていない。なぜなら、まったく同じ構図が、もっと露骨な形で展開されている場所があるからだ。サイバー空間である。
サイバー空間における二重の「免責」
興味深い事実がある。2024年12月、サイバー犯罪に対処するための初の包括的な条約が国連総会で採択された。交渉を主導した国々の中には、常任理事国も名を連ねる。ところがその同じ顔ぶれの一部が、国家の支援を受けたサイバー攻撃の主要な発信源だと、世界中の政府機関から繰り返し名指しされているのだ。
2026年7月には、米国の国家安全保障局(NSA)・連邦捜査局(FBI)・サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁(CISA)を中心に、英国、カナダ、オーストラリアなど12カ国18機関が共同で警告を発した。ロシア連邦保安庁(FSB)の一部門に属するハッカー集団が、世界中の古いルーター(家庭やオフィスの通信の出入口となる機器)を踏み台に、重要インフラへの侵入を試みているという内容である。2025年12月にポーランドの電力網が受けた攻撃も同じ集団によるものと認定され、成功していれば最大50万人が停電に見舞われた可能性があったとされる。
リアルの世界で常任理事国を守るのは拒否権だった。サイバーの世界では、それに相当するものが2つある。1つは「誰がやったか確定させにくい」という技術的な壁。もう1つは「証拠を突きつけられてもシラを切れる」という否認の壁である。物理のミサイルには発射台があるが、サイバー攻撃の発射台は世界中の乗っ取られた機器に偽装できる。免責の構造が、二重になっているのだ。
つまり、こういうことである。リアル空間で規範を破ってみせた国が、サイバー空間で自制する理由は、どこにもない。サイバーは国家間対立の「例外領域」ではなく、「主戦場の先行指標」なのだ。
日本の武器は暴力ではなく「暴く力」
では、日本はこの世界でどう戦うのか。私は昔から、一貫して同じことを言い続けてきた。日本の戦い方の原則は、アトリビューションと外交である。アトリビューションとは、攻撃の背後にいる者を特定し、名指しする力のこと。私はこれを「暴力ではなく、暴く力」と呼んでいる。
殴り返す力の競争に日本が参入しても、勝ち目は薄いし、そもそも国柄に合わない。しかし「暴く力」は違う。闇の中でこそ力を発揮する攻撃者にとって、白日の下に引きずり出されることは、想像以上に高くつく。手の内は使えなくなり、外交の場では釈明を迫られ、同盟国の結束を固める口実を相手に与えてしまう。先ほどの12カ国18機関による共同警告は、まさにこの「集団で暴く」戦い方が現実に動いている証拠である。名指しされた側は一発の反撃も受けていないのに、確実にコストを支払わされている。
日本も足場を整えつつある。2025年5月に成立した、いわゆる能動的サイバー防御の関連法(サイバー対処能力強化法及び同整備法)は、2026年から段階的に施行が進んでいる。この法律は「日本が殴り返せるようになる法律」と紹介されることもあるが、私の見立ては少し違う。本質は、攻撃の兆候を平時から見えるようにし、誰の仕業かを自らの目で判断できるようになること――つまり「暴く力」の国産化にある。見えなければ、名指しもできず、外交カードにもならない。見える国になって初めて、日本は同盟国の情報の「受け手」から、国際社会に証拠を突きつける「出し手」に変われるのである。
あなたの会社は「標的」ではなく「経路」になる
ここまでは国家の話である。しかし本稿の主役は、ここから先だ。国家同士の暗闘は、実はあなたの会社の玄関先で行われている。
先ほどの共同警告を思い出してほしい。攻撃者が狙ったのは、政府の中枢ではない。世界中に転がっている、設定の古いルーターだった。国家支援型の攻撃者は、本丸を正面から攻めない。取引網の中で最も守りの薄い1社を踏み台にし、そこから信頼の鎖を伝って本丸へ迫る。あなたの会社は「標的」にされるのではない。「経路」にされるのだ。
「うちは狙われるような会社ではない」――この一言こそが、実は最大の脆弱性である。経路として使われた会社に残るのは、情報の被害だけではない。取引先への加害者になったという事実と、「なぜ御社経由だったのか」という重い問いである。信用は、失うときだけ音を立てない。
もう一つ、見落とされやすい論点がある。地政学リスクは、もはや調達リスクだということだ。使っている機器やクラウドはどの国の企業のものか。データはどの国に置かれているか。保守を委託している先の、そのまた委託先はどこか。平時には単なる「安い・便利」の選択が、国家間の緊張が高まった瞬間、一夜にして経営リスクに変わる。これは技術の話に見えるが、実際には与信管理と同じ、純然たる経営判断の問題である。取引先の財務は調べるのに、自社通信を仕切る門番の素性は調べない。その非対称に、そろそろ気づくべき時期に来ている。
そして国家の新しい法制度は、企業にとって他人事ではない。基幹インフラ事業者には報告義務などが段階的に課されるが、その供給網につながる中堅・中小企業にも、事実上の水準向上が波及していく。国家の防衛線と民間の防衛線は、もう地続きなのである。
自社が「防衛線」であることを確認する3つの議題
大げさな投資の話から始める必要はない。まず、次の3つを経営会議の議題に載せてみてはどうか。
1つ。自社が「経路」として使われたとき、どの取引先に最も深刻な迷惑がかかるか。その顔が思い浮かぶかどうかが、当事者意識の試金石になる。
2つ。自社の通信の出入口――ルーターやVPNVPN:インターネットなど公衆ネットワーク上に、暗号化された仮想的な専用通信路(トンネル)を構築する技術。詳しく見る →機器――が、いつ導入され、誰が更新の責任を持っているか、即答できる人が社内にいるか。国家級の攻撃者が最初に叩くのは、たいてい忘れられた機器やサーバーである。
3つ。事が起きた最初の1時間、誰が何を決めるか。技術部門に丸投げせず、経営として判断する項目(公表、取引先への連絡、当局への報告)が紙1枚にまとまっているか。
常任理事国がルールを破る時代とは、「誰かが守ってくれる」前提が消えた時代である。国家は「暴く力」と外交で戦う。企業は「備える力」で戦う。この2つは別々の物語ではなく、1枚の防衛線の表と裏だ。そしてその防衛線の最前列に立っているのは、霞が関でも自衛隊でもなく、実は、あなたの会社の玄関先にある小さな機器なのかもしれない。
そこで、企業側でもう1つ身に着けてほしいのが「共有力」である。脅威ハンティングの記事でも取り上げた通り、うまくいったハンティング例はなかなか共有されないのだ。地道な共有が共助の礎となり、国の「暴く力」の源泉にもなり得ることも視野に入れていただけるとありがたい。